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わが国の歯磨粉むかし話

塩から磨き砂へ

わが国で使用された最初の歯磨粉は、塩であったといっても過言でない。八世紀の奈良時代のころには、塩以外のものがあったかも知れないが、文献を見出すことができなかった。鎌倉時代までさがって弘安二年(1279)に書かれた無住法師一圓(むじゅうほうしいちえん)の「沙石集(しゃせきしゅう)」には「歯取唐人(はとりとうじん)」の話がある。

歯抜専門を職業とする唐人が町を歩いていた。この唐人たちによって歯磨粉の製法が伝えられてもおかしくないと思うのだが証明する文献が見当たらない。本章の冒頭に書いたように、歯磨きがひろく普及されたのは江戸時代である。

わが国では本格的に歯磨粉の製造、販売が行われた記録は、江戸中期に出版された大卿良則(たいけいよしのり)(信斎(しんさい))の「道聽塗説(どうちょうとせつ)」第十五編「歯磨の角力(すもう)」が最初の文献であるとされている。

「抑々(そもそも)、歯磨きのはじまりは寛永二年丁字屋喜左衛門(ちょうじやきざえもん)、朝鮮人の伝を受けてこれを製しけるより近来に至りて世上に種類多し。さすれば喜左衛門が家を元祖(がんそ)江戸一番問屋と称す。昔は、大明香薬(だいめいこうやく)と号し、「歯を白くする。口中あしき臭いを去る」と記したる一袋おこないけるが、三、四十年以来、世上奢侈(しゃし)に流れ、さまざまな新奇を競(きそ)ひけるなり」

この歯磨粉の成分(主剤)ははじめ啄砂(みがきずな)と称する特殊な砂(陶土)を水飛(すいひ)(水簸(すいひ)・粉末の細かい陶土を調製する工程のこと)して、この粉末に丁字(ちょうじ)や龍脳(りゅうのう)などの香料、香辛料を加えたもので、通称「啄(みがき)砂」といった。

井原西鶴(いはらさいかく)「好色二代男」(諸艶大鑑しょえんたいかん)の中に「皮附(かわつき)大楊枝喜三郎が啄砂をたしなみ」とあり歯磨粉は大阪でも珍重されていたらしい。「歯は透(す)き通るほど白く、みがき盡(つく)すを第一にす。好色の家にて口中をたしなむこと最上の業なり。

外をつくろひたりとも、口中無沙汰ならば、色を好むとは云い難かるべし」江戸の時代から、粋人(すいじん)は色恋の前には服装などよりも、口中を磨くことを重視したものである。

参考資料:歯の風俗誌(時空出版)

 

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