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お歯黒風俗の終焉(しゅうえん)

森三渓編の『江戸と東京』(明治三十一年・一八九八刊)に次の記述かおる。

「涅歯(でっし)は天孫人種の上代より行いし風にして、京都の貴族は男女とも元服の後は歯を染めたり。然れど其他の地方に於(おい)ては、女子の外、歯を染むることなく、江戸も亦(また)将軍家以下皆白歯なり。

又女子の元服は男子の元服と異なり、必ず婚姻後(こんいんご)に於てするゆえ、既婚者に非(あらざ)れば歯を染むることなし。

江戸の風は、婚礼の日處女(しょじょ)の風にて輿入(こしい)れし、数カ月の間は猶(なお)島田髷(まげ)に振袖の姿を存し、元服の日に至り眉を剃り、歯を染め、小袖となり、丸髷(まるまげ)となる。

眉を剃るは黛(まゆずみ)を晝(か)くの準備なるに、後世何時(いつ)となくこれを晝(か)くを忘れて、唯(ただ)眉を剃(そ)りたるままに置く事となりしなり。故に貴族にありては、大礼の日には下げ髪となり黛を晝(か)きたり。

眉を剃り、歯を染め、丸髷に結ひ、袖を短くすることが、すなわち女子の元服の印(しるし)にして、其の一分の欠くるは半元服と称し、人の妾(めかけ)たる者、若しくは娼妓(しょうぎ)の風と倣(みな)したり。

明治以後、眉を剃(そり)、歯を染むるの風辟易なることを知り、江戸は率先して打破したれば、今は殆(ほとん)ど其風滅せんとす」

また、増訂『明治事物起源』の「婦人白歯の始め」に「明治元年正月六日令して、公卿(くげ)の涅歯点眉(でっしてんび)古制に非ざるを以て必ずしも循守(じゅんしゅ)せざるを令す(明治三年二月さらに之を停止す)。

これ公卿にのみ関することなれど、婦女子の新様(あらさま)も、この影響ならずともいひがたし、婦人の既婚者、眉を剃り歯を黒くすること、古来の国風なりしが、明治四年ころより、之を廃すべき議論民間に喧(かまびすしく)しく、明治六、七年ころより其風大いに行はるゝに至れり。

明治四年五月版雑誌六号に、心ある男子は、歯を染めず、眉を剃らざる婦人を貴ぶ者少なからず、婦人も亦歯を染め、眉を剃るを難く者なきに非ざりしも、一般の風俗に悖(もと)るを憚(はばか)りて、其志を行うことを得ず。

最も悲しむべしといへり。又五年同語六七号に、東京にても、従前小女の眉を剃りし弊(へい)を改め、此間まま眉を立てし者ありし由」と書かれているのを見ると、民間に定着された風俗を改めるのは、一朝一タのできごとではなかった。

明治六年一月二一日の日日新聞の投書に、「日頃新聞紙を閲するに、カタワ娘(著者の研堂曰く、福澤氏の著書の名にて、婦人のかねを付くるは人工カタワたることを論じた小冊子)といへる書に因(より)て、婦人剃眉涅歯(ていびでっし)の禁令を望む者あり。

明治六年三月三日皇后陛下天稟(てんびん)の淑資(しゅくし)を傷害すべからざるを見とり、鉄漿(かね)を剥(は)ぎ、黛(まゆずみ)を落し給う。これより追々(おいおい)之にならいしかば……」とお歯黒をつけること、眉を剃ることの風習がなくなる経過を述べている。

参考:歯の風俗誌 長谷川 正康 著

 

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