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入れ歯渡世人香具師

入れ歯渡世人(とせいにん)の登場

木調製の入れ歯は写真で見られるように精密で、その作品は高度に発達したわが国の木工技術の所産である。そういう点から、わたしは、入れ歯の製作は仏師の手なぐさみから始まり、その後、兼業産という経過をたどったのではないかと考えている。

室町末期から江戸時代に入ると、仏教の低俗化につれて造仏観念がうすらぎ、仏師にとっては造仏の注文が少なくなってきた。そのため彼らの木調技術を活用できるさまざまな方面に進出するようになったと思われる。

たとえばそれは、根付師(ねつけし)、能面師(のうめんし)、指物師(さしものし)などであり、かつ入れ歯師である。入れ歯は、日本各地で歯を失った人々の社会的必要から、江戸初期以降は逐次(ちくじ)今回的に広がっていった。

もはや副業としてではなく、入れ歯の製造を本業とする入れ歯師が誕生しても不思議なことではない。宮中や幕府に仕える口中医らは、口歯、唇舌の病気と咽喉の治療をおこない、入れ歯などは造らなかった。

入れ歯造りは別の系統で、それを営む者を俗に「入れ歯師」「入れ歯渡世人」といった。入れ歯師は老巧な技術をもつ親分のもとに弟子として入門し、直接指導され、その技術が向上し一人前と認められたとき、免許をもらい、はじめて独立して開業できたのである。

また、入れ歯造りをする傍(かたわ)ら、口中治療(むし歯の痛み止め、抜歯など)する者を「歯医者」と呼び、路傍、盛り堀などで抜歯を主とする者を「歯抜き」といって、正規の教育を受けた口中医とは区別していた。

加えて、むずかしい漢字の本が読めた武士(浪人)のなかには医書などを読み、人道に立って膏薬(こうやく)を売ったり、外科治療を行う「辻医者」になる者もいた。

香(や)具師(し)の性格

これらの人々は特殊な組織の中で活躍していた。この組織が「香具師、あるいは、てきや」の類と総称された組織である。この香具師の名の起こりと性格については、添田知道氏の『てきや(香具師)の生活』に詳しく、和田信義氏の『香具師奥義書』には古い時代の香具師の世界が紹介されている。

ここでは、香具師の性格について、一般に誤解されやすい点のみ記しておきたい。香具師は今日では露天商人の異名同義のように思われがちであるが、厳密な意味で単なる露天商人とは区別されるべきものである。

第一には、彼ら自身は、「神農」を崇拝しない者は「やし」ではないという。

神農は中国古代の帝王で、伝説によると、「初めて民に火食を教え、農具を作り、五穀の播種(はんしゅ)を知らしめ、草木を採集して能毒を弁じ、医薬を定め、市を開かしめ物の交換を行わせた」という。

このようなことから、売薬のことや、市を開き商売繁盛させた神として崇拝したのであろう。

第二には、香具師の親分を、ややもすると博徒(ばくと)、土方(どかた)、坑夫の親分と同一視しているのではなかろうか。香具師の親分は縄張りに拘泥(こうでい)しない。博徒の場合と違う。

テラ銭、カスリというものを取ることもなく、子分らの商売の上がりを搾取することもない。子分は親分から仕入れた品物をあくまで自分の力で能弁(のうべん)を活(い)かして商売し、収入を得ているのである。

親分の生活は、子分に適正価格で品物を卸してやることで成り立っている。

参考:歯の風俗誌 長谷川 正康

 

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